自宅の自分のパソコンデスクに昨日ご紹介したバラ・イブピアッチェを1輪飾りました。
ずっとこんなに間近で1輪の花を見ていると少しずつ開いていく様子や良い香りが
心を癒してくれて自分の気持ちも優しくなっていきます。
花の持つパワーは何と素晴らしいのでしょうか。
小さいながら一生懸命精いっぱい咲いて生きている姿が感動を与えてくれます。
これは命のある植物だからこそ。
花の一生を人の一生のようになぞらえて見るからでしょうか。
さて昨日少し考えさせられることがありました。
教育についてです。
大そうな話題を持ち出していますが、きっかけはほんの些細な事です。
当店に花束を買い求めにいらした方のことですが、ご自分のお嬢さんの卒業の写真
を撮影する際に花を持ちたいからというような趣旨で来店されました。
そのお嬢さんにはこんな花が良いという希望がありそれに沿った花をブーケにしてほしい
というご依頼です。 当の本人は来店せずお母さんだけいらっしゃり選んだ花を
スマホで見せてこれでよいかという確認を取るという徹底ぶりです。
お子さんも中学生ぐらいと思われました。
人間は社会的動物で群れで生きていく動物です。
それゆえに社会的に生きていくすべを教えなくては本人も周りも不幸になるのでは
ないかと私は思っています。
子供を育てる、教育するということは自己を確立しながらも社会的に
生きていくすべを教えることだと思っています。
子供の望みをすべて親が叶えてあげる手伝いをすることとは思っていません。
人と人が一緒に生きていくことはたくさんの感謝や愛、譲り合い、尊敬、我慢が
なければ自分の不満ばかりがたまってしまいます。
それを自分自身で判断してより分けていくことを教えることが教育だと思います。
自分で判断できる勇気や判断基準を育てること、
人に譲ったり我慢が出来る懐の深さと愛情、
自然や周りに感謝する気持ち、、、、などなど
たくさんある親が子に伝えたいこと、
それらはすべて親の一挙手一投足を子供が見ていることを忘れないようにしなければ
いけないと思うのです。
その際表面的なことで嫌われるかもとか考えることがすでに間違いなのではないでしょうか。
深い愛情に基づいた対応なら今は嫌われても最終的には分かってくれると信じて
行動する親の態度が必要なのではと思います。
親子が仲が良いのは本当に素晴らしいこと。
でもそれがなんでも自分の希望を満たしてくれるからではという理由では
いつまでたっても子供は親を乗り越えられないのではないでしょうか。
客観的に子供が親を見ることが出来るということが大人になった証拠のような気がします。
大人同士、大人になったら気が合わない親子がいても普通なんではないでしょうか。
信念に基づいて人生を過ごしてきた自負があれば子供と気が合わなくても仕方ないと思うのです。
なんだか今の親御さんは子供に嫌われないようにという気持ちが強すぎるのではと思います。
こんなことを言っていること自体、私がもう過去の人なのかもしれませんけど。
でも私はこれからもそんな気持ちで生きていきたいと思います。
今日はそんな気持ちを強く持ちました。
激しく同感です(*^^*)
「子供のご機嫌を取る」ことにエネルギーを注ぐのではなく、
親御さん自身がまず幸せを感じて《自分の人生》を生きていること、
お子さんが自分の元にやってきてくれたことにただただ《ありがとう》って思っていること、
ドジな部分も含めて、親のありのままの姿を見せること・・・
そんな背中を見せてあげることで、きっと子供は勝手に幸せに育って行くのだと思います。
そして、その方が親も気楽ですよね(^^;)
Mayumiさま
コメントありがとうございます。
良いこと、悪いこと、やってほしいこと、やってはいけないこと
そのこと自体に対する親の考えがはっきりしていない人が多いですよね。
結局その人の生き方がすべてに反映するんだと思うんですが、なんだかなあ・・・と思うことが多いです。
一つ一つ小さな決断にも責任をもって行動しなければと私も自分に言い聞かせています。